自分が十代だった遙か昔^^
今と違ってインターネットはおろか携帯電話も電子辞書も当然普及していなくて、必要な情報を得ようと思ったら自分なりにあちこちの方角にアンテナを張っておいて紙媒体やメディアをチェックして忘れないうちにメモって書店や図書館に出かけて調べ物をしたり、友達や出先で知り合った人との会話で稀有な情報を得たら鶏頭に鞭打ってしかと脳細胞に刻みつけたり、時にはぶらり一人旅をした先の「モーツアルトが観察した人達」に思いがけず出逢って感性の貯蔵庫を少しだけ膨らませたり・・・と、最近の情報収集方法に比べれば極めて素朴というか野暮ったいというか原始的というか、そんな方法を繰り返しつつ、それとなくやり方を修練させようという気持ちも湧いてきたりしてました。PC一つで簡単に瞬時に情報を蒐集できる今でも、基本的な姿勢やアンテナの張り方は昔気質のままの楽趣味です。格好悪い古い奴だと笑って下さい。でも、それが私の感じ方、受け止め方。
♪カッコ~カッコ~♪ ←意味ナシ^^
ことが在印中のことなら尚更のこと。
今や独立時の「頭脳立国」構想が着々とゴールに近付きつつあるインド。各分野のインフラ整備も一昔前に比べれば拡張されてきているとはいえ、それは所謂大都市圏の経済的に恵まれているケースが殆どです。デジタル大国における人々の日常生活はアナログで動いていると言えるでしょうか。
そんな国で何か調べ物をしようと思えば、色んな段階を事細かに踏まないと調査機関にさえ辿り着けないことがままあります。例えば「地図」。日本では各種地図が殆ど問題なく手に入りますけど、インドでは軍事機密に関することなので、日本で言う国土地理院のような機関で地図を見せてもらうことは(わたしら一般外国ピープルには)出来ません。旅券の表紙色が異なり査証が観光用でない場合であっても、インド国内でそれ相応の紹介状が必要で、紹介状があっても受付で撥ねられる場合もあります。何通りもの書類を作成し、それぞれに関係各位^^のサインを取り付け(それだけで物凄いインド時間がかかったりするんです)、やっと申請まで辿り着けると言ったこともありました。
申請が通過して許可を得られました!
いざ開かん!と勢い込んで目の前に出された資料に喜び勇んで飛びついても、自分の欲しい情報と合致するかどうかは時の運ということもよくあります。運よく「これだ!」という物が目の前に出てきても、直ぐには喜べない現実が次に待っていたりもします。それはどんなことかというと、例えば、日本では簡単にできる電子複写。これが出来ないことが多いのです。閲覧可能な地図であれば、マニュアルでトレースする必要が出てくるのです。しかも元の資料を傷つけたりすることなく行わねばならない場合が多いですから、もの凄く手間暇のかかる作業が待っていることになります。
どんな資料であろうと、それが古文書に該当する場合、複写なんてもってのほか(今だったらデジタルカメラを使える所も増えたかも^^)。閲覧する場合も専用の部屋だったり。
特に今を遡ること250年程前の文献が作られた頃、紙の質が悪い場合が多くて(理由は忘れましたが酸性紙が多く使われていた時期がありました:実に困ったモンです)、そよ風が吹くだけでハラハラと砂塵のように崩れてしまうことがあるため無風状態の室内でなければいけません。ページとページの隙間に埃が積んでいるからといって、息を吹きかけることもしてはいけません。紫外線によるダメージを受けやすいので薄暗い部屋で閲覧しなければなりません。ですので、そういった稀少貴重文献閲覧には見張り役が傍で控えていらっしゃることがたいへん多かったです。
エアコンがあれば良いじゃないか、ですって?
エアコンの効いた部屋はお偉いさんがお使いになるのですよ。それに地域によっては公的機関であろうとどこであろうと「停電」という日常茶飯事が待っているのが普段着のインド。電気が「逝っちゃった」途端、"Oh my goodness! It's gone" なんて台詞を口にするのは、まだまだ「天竺青い人」ってことになりましょうかね?水冷式であろうと何だろうと、一番電力を食うエアコンの類は、もし設備があったとしても少なくとも公的機関での作動機会は殆どないでしょう。
どんなに暑くてどんなに湿気が高くても、見るからに重そうな羽の古めかしい扇風機(天井扇風機のことが多いけど、設置型のファンもありますよん)が目の前にデ~ンと置かれていても、意外に可愛らしいデザインのペーパーウェイトを「ちょいと拝借!」出来たとしても、閲覧中は扇風機を回すことはしてはならないし、「暗いよ~怖いよ~暑いよ~」と駄々をこねて「開け~、窓!」と呪文を唱えても閉め切られたフランス窓がパタン!と開くことはありません。そんだけ閲覧に厳しい機関も中にはあります。
〔picture r. from Wikipedia 'M.K.Gandhi'〕
もう少し融通の利く所もありますよ。
インド独立の父と言われるマハートマガンディ(「大いなる魂 Maha+Atma」ガンディの意味。実名はMohandas Karamchand Gandhi)直筆の書簡が紐結びされただけの書類箱に何気なく入れられたりってことも。
それも、白い手袋をはめずに直に手で触れられる..。当然舐めるように眺めてトレースしてきましたけど(^^;
それにつけても、左画像のガンディ翁(インドでは親しみと尊敬をこめてガンディージーGandhi-Jhiと呼びます)は楽趣味の母方祖父に栗ソツだがや(^^;
デジタル機材が普及している昨今の潮流から見れば、なんとも不合理な話に思えます(既に海外からの学術援助によって貴重な資料がMicrofilmとDigital tech.両用のHybrid Systemによって長期保存体制が一部に整備されつつありますが、未だごく一部です)。そうした貴重でありながら取扱要注意の壊れ物fragile文献がインドでどんな風に保存管理されているかというと、これがまたなかなかに味わい深いのです。司書や機関所属の専門家が取り扱うのでないことはご想像頂けるかと思います。
話は、とある国立の文書館での事例です。
カウンターで文献閲覧請求用紙を受け付ける係Aがいて、その用紙を倉庫へ持って行く係Bがいて、請求文献を捜してカウンターまで持ってくる係Cがいて、閲覧受付係Aから「閲覧請求番号○△番の誰それ~」とお声がかかるまでジッと我慢の子をして待っている閲覧請求者に文献が手渡されます。その間、早くて半時間。長い時は1時間強待たされることもしばしば。待っている間にやることは結構あったりするんですがね(^^;
ここでご登場遊ばしますA~Cそれぞれの係は、自分たちの手にする物にどれ位の歴史的価値がある宝物かなんてことは気にしてないことが多いようです。時々背表紙の外れそうになっている書物を、ポ~ンとカウンターの端に投げ置いたりします(あ!貴重なfragile文献は別扱いですよ、もちろん)。時に、映画に出てくるバーのカウンターでグラスを滑らすバーテンダーよろしく、ズザザーっと滑り投げるようにすることもあったりします。
「シングルモルトのスコッチ、ダブルで!」
「あいよっ、合点承知!」
ってな風に・・・なわけないやろ(--; >自分
インドでの体験に限らず、の話ですが、そんなアナログな世界観と手法をもって何かを調べ掘り下げていくことになったとしても、調べることが面白くて、また、調べることによってそれまでボンヤリとしか浮かんでいなかった疑問や推測が次第にハッキリした輪郭線を描くようになったりして、「これだ!」というものが見つかった時の嬉しさや興奮は未だに薄れることなく残っていますし、ネットで検索して探し物が見つかった時に味わうものとは質的に違うような気がします。
何故なんだろう?その違いって何から来るものなのだろう?例えば英単語一つ調べるのでも、手指を使って辞書をひくのとネットで調べるのとでは当然ネットの方が速いですよね。綴りを間違って入力しても親切にも「ひょっとこしてあんたが調べたいのはこの単語かい?」ってマシンが正してくれたりしますから、単純に意味だけを調べるのであれば「マシンとネットにお任せ~(^^)v」でやっつけた方が簡便です。
けれど、そこには「間違って調べる楽しみ」の存在する余地がありません。間違って間違った方向へ行ってしまうゆとりと楽しみを生む「機会の隙間扉」も出現しません。語学の辞書だけに限りませんが、勘違いをして辞書のページを捲って発見したりする全く関係ない単語でも、何かしら自分のアンテナに引っ掛かったりすることがありますが、楽趣味はそんな時のことを「機会の隙間扉」と呼んでいます。偶然の産物として出現する扉、その時のちょっとしたきっかけがなければ一生踏み込まなかったかも知れない世界への扉、普段はあからさまに存在を示してはいないけれど、それこそ「偶然と言う名のきまぐれ神様」がいるとしたら「ちょいと横道に逸れて見てみないか?」と声を掛けようとひっそりと待っているかも知れない隙間を押し開ける為の扉。
「機会の隙間扉」を押し開けて中へ入って行っても、「へぇ~!」と一過性のおもしろがりで終わって読み飛ばすだけのことが殆どです。けれど、自分の手指を用いて意識的に調べ物をするわけですから、何がしかのものが感性のアンテナ付け根部分に引っ掛かったり絡まったりする糸を持っているような気がします。それを埋め込んで堆肥にするのか砂塵に変えてしまうのか、時を経て何かが還ってきた時にしか分からない、或いは、そのことにさえ気付かないで過ごすことも多いのでしょうけれど..。
これがネットだと「いつかどこかで引っ掛かるかも知れない糸」が脳内で実像を結ばずに消えてしまうことが多いような気がするのです。そんなことは、楽趣味の独り善がりな単なる感覚に過ぎないのかも知れませんが。
インターネットで検索して調べることを否定しているつもりは毛頭ありません。今や日常のあらゆる場面で多用している便利なツールであり、それが生活に入り込んでしまっている現状、それ無しでは不便きわまりない状況が出てくるに違いありませんから。氾濫する情報をうまく整理して使いこなせれば、膨大な知識量が一瞬にして目の前に流れてくるでしょう。その少なからぬ知識の流量に取捨選択の舵取りをして自分が本当に求める情報をキャッチすることが出来るようになるにはある程度の鍛錬と経験値が必要となってくるのでしょうね。
♪遙か海原の~その彼方~ひと粒の真珠を求め♪
求めるものが単にいくつかの情報ではなく、「これが知りたかった!」という明確な答えだとすれば、その鍛錬の度合いと経験値は検索操作に慣れてくるに従い、高いところへと設定レヴェルを上げなくてはならないのかも知れません。なかなか難しいことで一朝一夕に出来ることではないと思います。
更に、膨大な情報の流量に惑わされない眼を養うことも必要でしょう。これこそ「言う(書く?)は易く行うは難し」。検索結果は時に玉石混淆。それを虱潰しに読んでいく程のエネルギーも時間もない。となれば、如何に玉石を選り分けていくか。「何となく」で始める選り分け方法から出発して、客観性と論理性という篩の目を鈍らせないよう、けれど、ザックザックと篩う大胆さも忘れずに..。
やっぱ、難しいわ(^^;
インターネットで何かを検索する際、検索フィルターのかけ方は第1段階の基本的且つ大事な作業ではあるけれど、検索結果を「どう受け止めるか」は読み手の本意に関わる更に大事な作業。
面と向かって話を聞くのとは違って文字を読むわけですから(画像で確認して一目瞭然という事例は別として)、対話や口語で味わうことの出来る抑揚や語気の感じを読み取るのは難しくなってきます。逆に考えれば、文字だけで自分の言いたいことを読み手に分かって貰う文章を書くことがどれだけ難しいかと言うことでしょう。読み手によって受け止め方が違うから尚更のことですね。
明らかな客観性と論理性が求められる場で思い入れの強い文章を書いてしまい、こっぴどく叩かれたことがあります。「あ痛たたた・・・」痛烈な批判の矢が突き刺さった瞬間のことは未だに記憶が薄れません。その時の事を蘇らせると、これを書いている今も全身にアドレナリンが駆けめぐるような錯覚を覚えます。時のアドヴァイザー(指導教官)が最後にコメントしてくれた言葉を思い起こし鳥肌が立つ巡り来る時間再び。
「滑らかな凹凸のない筋を追い、検証に耐えうる文章にしなさい」
実際のコメントは上記と若干言葉を違えた表現でしたが、言われた内容に違いはありません。「滑らかな筋」「検証に耐えうる文章」・・・何度も何度も反芻するように、それこそお経のように唱えながら考え直し練り直した日々が蘇ってきます。
滑らかな筋になるよう検証に耐えうる文章を組み立てていく作業は、ジグソーパズルの組み立て作業に類似していると思えます。(一辺が線分から成る端に置かれるピース以外の)1つのピースは周囲の4つのピースに合うよう填め込まれますが、実際には、周囲の4つのピースの各々の位置を確定するため近接する角のピース4つが確定されて始めて位置が決まります。そして、1つのピースの位置確定に8つのピースの相互合致がずっと続いて行く・・・。ことほどさように、言葉一つをどこに持ってくるかを確定させるには、単語と単語の直接的な相互位置関係だけでなく、文脈の流れの中でどこに置けば凹凸のない筋になるのか、果たしてそれが検証に耐えうる文意となって繋がっていくのか・・・。絵と色とで判断してジグソーパズルのピース1つ1つの位置を確定していくのではなく、隣り合うべき他8個のピースの組合せを判断するやり方(考え方)は、文章を組み立てる上で書き手がキーと考える単語をどこに埋め込み他の単語との組合せと位置を考えるか、言ってみれば、文字と文脈の経糸緯糸が織りなす二次元的レヴェルでの機織り作業と共通するのではないか、と。
人生には「たら・れば」が存在するようで実のところ存在し難いように(偶然性を全面的に否定するつもりはないのでこう書きます)、自分の考えを文字にする時、無限にも感じられる組合せ可能性がある中で必然を選び並べる瞬間が存在します。同じ様な主張をする場合でも「これっきゃない」という表現を追い求める時があります。偶然の選択のように見える物事の積み重なりも、突き詰めていけば「そうなる必然性が内在していたのだ」とさえ思えることがあります。何かしら必然性があったから、一見偶然のように見える事柄や出逢いや言動に繋がっていた、そして、繋がっていくのだろう、と。偶然的な必然の内在。
「機会の隙間扉」を開けるも開けないもその時の気分に左右されることが大きい、です。けれど、いつか遠い昔に押し開けた扉が、開いた時にはその先に続く路地の入口も見えず道標とて見当たらない「手探りで確認しなければどうしようもない」一瞬に感じられたとしても、いつだか分からない遠い時間の流れの先に広がる小部屋や路地裏へ続いているかも知れない・・・そう思うと「押し開いてみなければ」という気持ちが湧いてくる欲張りな楽趣味です。自分のキャパシティの限界を超えているのが分かっていながら、見たい聞きたい知りたいと欲張りすぎて収拾を付けられなくなることも多々ある、いや、そういう場合が殆どのなのですが..。
先日、友人と久しぶりに再会し色んな話をする機会が持てました。話をするうちに、自分一人で悶々とチマチマと思案している時には形にならなかった考えや構想が、雲散霧消してしまっていた状態からスローモーションで逆コマ回ししながら「始めからそこにあったのに気付かなかったのか?!」と思えるような形をとって見えたような気がしました。填め込む位置を確認できないでいたジグソーパズルの手持ちピースが自ら『ここだよ~、この位置だよ~』と収まるべき位置を経緯で示してくれたような、そんな錯覚にも似た感覚が「再び巡り来たひととき」でした。
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※本記事の画像中、ニューウェーブとジャクリーヌデュプレは西方ロサレーンのRosalindsさんの花です。
☆今日は現Rosalind Infinitaブログ公開から1周年☆
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楽さん ナマステ~
返信削除ようやくネット接続が安定しつつあるみけでございます。
私らの世代はアナログしかない時代を知っているところが幸いだと思いますよ。
結局のところ、ウチのヲタなんか見てると、簡単に検索出来てしまうが故の掘り下げ不足というか・・・
それ以上掘り下げてみようって気にならないっていうか・・
えらく楽に情報得てるのにめんどくさがってみたりとか・・
私たちはアナログな時代に、とっても苦労して情報を集める習慣が付いているんで、簡単に済むようになると、もうひと掘りしてみようと思うでしょw
みけさん アッサラーム♪
返信削除みけさんちもネット接続不安定でしたか?楽んちも。この2日間というもの、眉間に皺が寄りっぱなしで、匙を投げてました。
楽Jr.なんて、自分で調べる前に「○△って何?」って台詞が口をついて出ますからねぇ。それも、ちょっと考えれば分かりそうな質問だったりする(^^;;何でも「めんどくさい」らしいです。
我が子を見ていて、深く掘り下げることをいつするのかな?と思う反面、自分も興味のないことは鼻にもかけないって所があるので、その度にチョイト反省しては直ぐに鶏頭してしまう都合の良い神経です(^^;;