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2011-06-16

それでもなお

三ヶ月も過ぎれば、震災直後毎日繰り返し何度も耳目にした震災死亡者数や行方不明者数、避難者のことも、事故発生当初~連続した水素爆発~その直後の情況も、TVや新聞など所謂一般メディアで取り上げられる頻度が随分と減ってきている。
報道されないからといって、決して物事が収まったわけではないことは分かっているものの、3ヶ月前に受けた衝撃や慟哭や悲痛な叫びに、何かオブラートのようなものがかけられて、どこかでフワフワと宙を浮遊してしまっているような錯覚に一瞬とらわれてしまいそうになる。

忘れてはいけない。
朝、目が覚めてからも、寝ているときも、
何かに熱中して体を動かしている時も、
つらつらと考え事をしている時も、
同じ時の流れの中で、
数多の生命が息づき、
苦渋と恐怖の中で、
別れを告げる間もなく命の火が消えたことを。

そして、今、この時もなお、
ゆらゆら燃える蝋燭の炎から揺らぎ出る煤のように
死の灰は彼の地から放出され続けているのだ。
一刻もたゆむことなく、空中へ舞い上がり、
風に乗って飛散し続けているのだ。

忘れてはならない。
国が暫定的に定めた基準値やら規制値やらのことを。
刻一刻と被曝し続ける私たちがいることを。
そして、被曝しながら事故現場で作業を続ける人がいることを。
苦しい、辛い、きつい、そして、恐ろしい。

evian
朝のエヴィアン。

自分のバラ育てを主たるテーマとして綴ってきたこのブログ。
震災発生後、「バラどころじゃない」って事も目にしたし、「節電のためにネットは自粛する」という見解も目にした。そうしたことの善し悪しを判断するなんてことはおこがましいことだ。ブログであれツイッターであれ、なんであれ、その管理者/主体者の考えや意識に基づいて展開されることなのだから、極端な話、反社会的な書き方でない限り、また、典拠が他者に対して不誠実でない限り、その存在自体を否定できるものではないと私は思う。

htrbkr
皇居に咲いていたホタルブクロ


書き続けるのは何故だ?
もうやめた方がいいのではないか?
自問する。
他者から問われる。

「もう、その話題は飽きた」
「仕方ないじゃないか」

そう言われたこともある。

原発の話題を避けて通ることは出来ないことではない。
原発の話題を避けているからといって、
考えていないことにはならない。

喋る人
書く人
嘆く人
動く人
黙る人
受け止める人
避ける人
いろいろあって良いと思う、忘れなければ。
表現の仕方は十人十色だもの、真実を知りたいと思えば。


だが、わたしは、避けて通れない。

国家当局が人々に如何に不誠実であるか、そんな感覚をずっとずっと抱いてきたはずの私の耳たぶは、文字通り擬似骨抜き状態になってしまっていたのか、と自戒する。

何を恐れ、何を隠蔽しようとしているのだ? 今更。
正しく判断する人を何故排除するのだ? これまでも。

何事もなかったかのように、日々の事象や出来事や感情や感覚やら。
何事も起きなかったかのように、綴っていくことは私には出来ない。

そんな自分は自分が許せない。
ひとはひと、わたしはわたし。

2 件のコメント:

  1. 新聞じゃないし
    テレビ番組でもない
    ちょっと公共的な書き物

    でも所詮、個人の日記。

    なのに
    「もう、その話題は飽きた」
    なんて。。。
    思っても、わざわざ言うことじゃないと思う。
    公共的なものだからネガティブNGとか、読み逃げNGとか
    ブログに纏わる謎のエトセトラがあるけれど、
    「話題にダメ出しって、何様のつもり?」
    と、ちょっと角がでました。
    ブログはエンターテイメントじゃないんだからねぇ。。。

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  2. azkingさん こんちはNamaste/

    個人の日記とはいえ、webで公開している以上、
    自分に対してはもちろんのことですが、
    読む人の事も、どこかで意識して書いている自分の記録。

    ブログに纏わる謎のエトセトラってのがあるんですか?
    ネガティブNGって・・・否定的なことを綴るのはNGってことですか? そうだとしても、そりゃあ、ひとそれぞれだから~。
    読み逃げNGってのは、よく分かりませんが・・・???
    た~っくさん読み逃げしてる身としては・・・(^^;

    ま、いろんなひとがいるってことで、ええんじゃないっしょか。

    それにしても、今ここにある危機(小出さんの言葉を借りれば震災原発の戦時情況)、胸がざわざわ、耳もざわざわ、喉もがらがらで、たまらなく辛く苛立たしいっす。

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