ページ

2010-11-24

El collar del Neandertal ネアンデルタール

それは、面白そうな本のタイトル。
邦題『ネアンデルタール人の首飾り』
読むどころか手に取ることすらしていないので内容は不明。



ネアンデルタール人は死者への手向けとして
野に咲く花を副葬品grave goodsとしていたらしい。
真偽の程は定かではないが〔ココみてね^^〕、
人と花の関わりは何万年も前に遡ることは間違いないだろう。

魔法の呪文で紅葉したの?
花を愛でる心・・・
それは、長い時を経て私たちの遺伝子に刻まれてきたのかも知れない。

今の私にとって、花や緑のない生活は考えられない。
思えば、庭遊びに精を出す母の姿を見ても、それほど興味は湧かなかった自分が居る。未だ小学生だった私に華道の習い事を(イヤイヤ始めたわけではなく、いつの間にかやっていた^^)させた母は、毎週花屋さんから届けられる『稽古用切り花』を度毎に品評していたような記憶がある。
「今日の菊はとっても上等だ」とか「この木の枝振りが良い」とか何とか・・・。生けた花は毎回父の仏壇近くに置かれていた。私が花を生けなくなってからというもの、自分が庭で育てた花を摘んできて飾ったりしているようだ。

アブラカダブラの花が開くとき何かが起きる?

物心共に植物の恩恵を受けている動物。
我々ヒトはその最たるもの。
寧ろ精神的な面では最も影響を受けている地上の動物。

ある研究によると、人口密度が一平方キロメートル当たり二〇〇〇人を超すと人間は自然を求めて何らかの行動を起こし、八〇〇〇人を超えると花や鉢物を買う行動が増え、一万二〇〇〇人を超えると植木や苗木を買い求めるようになるそうである。人間社会のなかで疲れた心を植物と触れ合うことで癒そうとするのか、人は無意識のうちに植物を求めるものらしい。わたしたちの生活の質を、もの言わぬ植物が高めてくれるのだろう〔植物まるかじり叢書2『植物は感じて生きている』より〕

ネアンデルタール人の首飾りは花の首飾りではなかったかもしれないが、彼らが死者に花を手向けていたとしたら、花を愛でる心があったのであろう。そして、おそらく、ネアンデルタール人の誰かが野に咲く花を可愛らしいと思い、美しいと思い、摘んで茎を繋げ輪にして、自分の首飾りにしたことだろう。

もう一つ花の首飾りを作ったよ
それをあなたにあげる
あなたのことが好きだから


書き言葉を持たず、言語体系の確立を見なかったとされるネアンデルタール人だが、そんな意思表示があったのではないかと、遙か遠い昔々を偲ぶ。

シャニダール洞窟近く、日の当たる場所へ...

0 件のコメント:

コメントを投稿