2011-03-22

やるせないけれど、それでも・・・

東京へ戻ってきて1週間が過ぎた。

こちらへ戻ってくる前に、携帯電話の緊急地震速報を設定しておいた。

3月14日。
羽田に到着したのは午後3時過ぎだったが、節電で照明減の空港は若干暗かった。預けた荷物を受け取って出口付近の電子案内板を見ると、京急は15:30以降運休とある。改札へ急ぐと、職員が品川方面への最終電車は既に走り去った後だと拡声器で案内していた。
踵を返してモノレール改札口へ急ぎ、乗車した。


四国から届いたT-Nウィリアムと3月の空

夫からは「羽田に着いたら連絡」するようメールが届いていた。
連絡すると子供から返信があった。
「お父さんは今仮眠してるから私が代わりに伝言」
浜松町に着いて再び携帯メールを送信した。
なかなか電車が来ない。
京浜東北線に乗車する人も含めホームには人があふれてきた。
山手線を待っている時に地震速報のアラームが鳴りだした。
最初は自分の上着ポケットに入っている携帯からの音だと思わなかったが、周囲の人からも異なる警報音が鳴り出し、慌てて取り出した。心臓に悪い。


庭全体に香っている沈丁花。手前に今年は楽庭MR1号の鉢を配した。

3月22日
さきほども揺れを感じた。
まだまだ余震と思しき揺れは続くだろう。
ここ数日、緊急地震速報のアラームが鳴らないことが多い。
震度が徐々におさまってきているためだろうか?

本日実施予定の2回目計画停電は見送りとなった。
東電の計画停電も今月末からは対象地域が細分化されるらしい。
出来ることなら、電気を24H必要とする医療機関などでの停電はなしにしてほしいと切に思う。


先日、溜まっていたEmailを整理していた時、インド博物館館長の清さんの訃報を目にした。ほんの短い間の接触だったけれど、とても快活で愉快で人情味のある人とお見受けした。

合掌



既にwebを張って動いていた蜘蛛と、やっと動き始めたフィンブリアータ。

そして。。。
いずれ訪問したいと思っていた北国のバラの園。
バラが好きで、バラとともに暮らしていた女性の訃報を知った。
胸がキリキリと音を立てた。

合掌


午後遅くになって、雨が上がった。
明日からは少しお日様が戻ってきて気温も上昇傾向になるようだ。


今年はフィンブリアータの花に会えるかもしれない。
気持ち上向きで頑張ろう。

2 件のコメント:

  1. 震災の翌日、兄貴が羽田から約2時間かけて帰宅した事を思い出します。
    今の世の中、どれだけ多くの事を電気に頼っていることか・・・
    特に医療において電気と水は供給される事が大前提になっているので、日に3時間の停電は致命的といってよいほどその機能をマヒさせているようです。

    一昨日久しぶりに車を使い川崎方面へ出かけました。
    街中も高速道路も明かりが消え、平時の真夜中よりも暗くなっていました。
    ここまでしてまだ電気が足りないなら、後は家庭レベルで節電しか無かろうと変に納得できました。
    途中首都高速道路で、おそらく福島から帰還するのであろう横浜市のレスキュー隊の壱段とすれ違いました。
    頭が下がるばかりです。

    ところで、携帯の緊急地震速報ってどうやって設定するの?

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  2. みけさん 引き続きのNamaste/^^

    結局、家にたどり着くまで何時間かかったんだっけ?通常だったら1.5時間くらいですけど、4時間近くかかったのかな?

    電力供給のネットワークがどうなっているのか、さっぱり分かりませんが、自家発電の余裕のある医療施設って日本ではどれくらい存在するんでしょうか?入院治療中の患者がいる医療施設すべてがそんな情況にあるとは考えにくいことは確かでしょうけれど。

    携帯の緊急地震速報・・・火事場の何とやらで、1週間前は無我夢中でやってました。言われてみて初めて、自分でどうやったのか、全く思い出せません(^^;
    諸機能の設定からやったんだっけ?あわわ・・・

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