株で冬越し出来るかと目論んでいたイタリアンパセリは、春先の寒さで株が溶けてしまったようで(そんな現象があるかどうかは不明)、消えてしまいもした。
手元に残っていた種は数粒。
とりあえず播いてみたものの、まだ余り大きくなっておらぬ。
こぼれ種で発芽したのが一つだけあったぞなもし。
そりが・・・
今や・・・
堂々と、楽趣味の背丈に迫るほどにまで(越してる?)生長しおってからに、葉っぱはちぃとも料理に使ってなどおらぬだに。
如何にもセリ科の植物だってな風情でありる。
背後のバラはイルルージュの枝だぞよ。
庭のバラは、この蒸し暑い最中でも、健気にも咲いてくれる。
もちろん、ポツポツとではあるけろけろけろっぴ。
虫の糞をくっつけてるクリストファーマーロウ。
最近、ブログの更新をする時に思うことがある。
どこかしら、吐き出したいことを吐き出せていない、と。
自分の思いや考えや見方を体よく丸め込んで書いている時がある。
何のためにログっているのか?
そりゃ、自分のことや家族のこと、バラのこと、庭のこと、日常の出来事やら、その他もろもろ、要するに自分の生活史として綴ってるわけだ。
だったら、素直に吐露すればええんでないかい?
いや、それが、さ、
若かりし頃の尖がり尖がったところが徐々に丸くなってきてるな~って、
自分で思うんだな。
そりゃあ、周囲からは「あんま変わんね」って謂われることもあるけど、
やっぱ、独身の時と今とでは背負ってるものが違うし、
相対的に捉えるってことも少しはやったりしてるからねぇ。
とかなんとか言っちゃって、
単に逃げてるだけじゃないのかぃ?
当たり障りの無いことを綴ることに意味を見出せるかぃ?
答えはNoだ。
それは分かっている。
だが、なぜ答えが分かっているのに、
自分が出した答えに応えることをしないのだ?
おかしいじゃないか。
迷い迷って胸にかかるモヤモヤ雲を振り払う。
何か進むべき途の糸口になりそうなものを手繰り寄せる。
どうにかしろよ。
このまま尖がり喉笛を丸い鞘の中に収めたままにしておくのか。
それでいいのか?
No!
ならば、どうにかしろ!
下らんごたくばかり並べて・・・
やってらんねぇぞ>自分
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