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2011-04-10

Power of Saohime

昨日縮こまるようにしていたチューリップの蕾が開いていました。
春の女神、佐保姫の威力に唸りながら、狭い庭をうろちょろ。

佐保姫って何?ってバヤイは、島崎藤村さんの言の葉でどじょ^^


azkingさんに「ピノキオとちゃうん?」と教えてもらいました。
名前が分かってよかったね~~^^v



フィンブリアータも随分葉の展開が進んできました。
枝はまだまだ細いし株も痩せっぽっちだけど^^



画面向かって左はママンコシェの紅葉。
右は・・・花が咲いてみないと分からないバラ^^


そして~~♪

白ブラバン(マダムジョゼフシュワルツ)にもついにとうとうやっと蕾が!



シュワちゃん、もひとつ別の蕾も。

んでもなんとなぁ~く、若葉がヘロヘロヨレヨレしてるでしょ?
昨日の強風で傷んだ?
風が強くて水分が飛んだ?
虫害?病害?

いやいや、この品種ってば、ずっとこんな感じのヨレヨレ葉っぱなんです。
CCTR怪鳥によると、シュワちゃん葉ってば、どうやらヨレシュワ特性っぽいらしいのです。

最初は、「あれ?水切れしてるのかしら?」なんて慌てて水遣りしようとしたけど、「待てよ・・・下位の葉っぱはピン!としてるし、蕾も首を傾げていないし、用土も乾いてないぞ」ってんで、思わず水をやりたくなりますけど、必ず用土の湿り気を確認してからでないと、いけません。



いよいよやるき充満タンクなフランシス氏の蕾もこんな感じに。
他にも小さな蕾が幾つも出来ていますねんよ~♪
めっつぁ楽しみでありんす。

むほほほほ(^m^)





2011-03-06

また新たな歩みを・・・

先月中旬、楽庭では古株Sのバラ「バレリーナ」一枝にキクイムシが潜んでいるのを偶然発見した(関連記事はSunlight Akbar! 今日は早じまい)。被害枝は3本あったシュートの内の真ん中の枝だった。芽を一つ残して切り戻した(拳骨剪定でも良かったかも知れないけど)。

2010-12-10

To you - behind the golden phase

Gustav Klimtグスタフ・クリムト
ウィーン生まれの美術家
金箔を用いた絢爛豪華で摩訶不思議な絵画

『接吻』
『ユディト』
『ダナエ』

などの代表作品を
どこかでなにかで目にした人も多いだろう。



「心が繋がってると思った瞬間」で紹介した
長田弘さんの詩篇『詩ふたつ』


ケース画作品の"Orchard with Roses"
1912年作品で、邦題は『バラの咲く果樹園』



言の葉のまにまに現れる20程の画は
すべてグスタフ・クリムトの作品である。
といっても、裸体女性の肖像画ではない。


55歳と半年で生涯の幕を閉じたクリムトが
ザルツブルグ近郊のアッター湖畔周辺を題材に
描いた風景画は約50作ほどあるという。


樹木や花や農園を題材にした作品が
詩篇の頁を捲るたびに生鮮に眼に飛び込んでくる

花
沼
葉
森
土
樹
水
空
嵐
景
緑
波
果



ウィーンという都会のアトリエで
妖艶な女性の肢体を描く
官能的で甘美で絢爛たる黄金世界とは異なる作風。
自然の色彩の素晴らしさに覚える喜びとともに
クリムトの心にある静謐さが滲み出ているような
・・・・・そんな印象を受ける。



"Roses under Trees"(c.1905)
〔邦題『樹下のバラ』〕
この作品が掲載されている頁には、
長田弘さんの深遠な言の葉が三行。

ことばって、なんだと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。





ここまで深く見つめられる感性。
どこまで遠く紡ぎつづける感覚。

生まれもっての才能か。
積み重ねられる才覚か。


『詩ふたつ』あとがきには、こう記されている。
亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。
心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。

1909年、47歳のクリムトが描いた『公園』
その風景の隣に言の葉が打ち付けられる。

森には、何一つ、
余分なものがない。
何一つ、むだなものがない。
人生も、おなじだ。
何一つ、余分なものがない。
むだなものがない。

何度も何度も開いては
かみしめるように読み、観る。
そして、何度も吸い込まれていく。
何度も何度も包み込まれていく。


グスタフ・クリムトは猫と暮らしていた。
クリムトと暮らしていた猫は
アッターゼー田舎家の裏庭を
歩き回ったのだろうか。
アッターゼーの澄んだ夜空に光る星を
クリムトの腕に懐かれて見上げただろうか。


To you







2010-12-06

「喪中につき・・・」の後は?

寒さで葉がパサパサに、茎もカサカサになっている生ニーム。
室内に取り入れても置くところは南向きの出窓しかない!
ってんで、先日から出窓におわします生ニーム2鉢。
な~にがお気に召したのか、枯れた下葉をハミハミする二匹。
ついでに鉢土をちゃいちゃいしてくれて、
朝から付近の掃除に大わらわな楽趣味です。
ネコ草の芽が伸びてきたと思ったら(画像はココ)
あっちゅう波の間に間にパクパク・・・(^^;
もうちょっと密に種まきしても良かったかも。
んでも、昨日種まきした鉢を仰山仕込んでおいたから、
もうちょっとしたら、ネコ草たこさんたこさんよ~♪
まっててにゃん(^-^)

2010-11-28

上質な言の葉に触れる幸せ

歯痒い思いをした。
どうして気持ちが伝わらないのだろう?
いや、気持ちは伝わっているのだろう・・・と思う。
気持ちではなく、考えが伝わらないのだ。
言葉のすれ違い、行き止まり。虚しさの残骸。



そりゃあ、そうだ。
考えること自体、他者と共同作業は出来ないのだから。
考えを巡らす事は独りでやること。
何者も「私」に取って代わることは出来ない孤高の世界。

ぽいと捨ててあたらしいものを買うより、使い慣れたものを手持ちの道具と材料で「取り繕う」こと。たしかにそれは一時的なごまかしにすぎないだろうけれど、日々を送るということは、精神面もふくめて、そうしたささやかな「取り繕い」の反復なのではなかろうか。〔堀江敏幸著『アイロンと朝の詩人 回送電車Ⅲ』より〕


静謐な時間と脳内空間。
同時に生じる僅かな緊張感。

欲しいなぁ。
そんな上質な時の流れが。
そう思って、堀江敏幸さんの散文集を手に取る。



どんな音にせよ、私たちの心の中には、人間が代々伝えてきて私たちにもしっかりと受け継がれている「大記憶」とも呼べるような音があると思うのだ。それらは、お母さんの子守唄とかおばあちゃんが歌ってくれた童謡といった「懐かしい」音とは少し違う。懐かしい音ももちろん私たちの深層に聞こえる大切な音だけれど、私がここで言いたいのはもう少し大きなスケールで聞く音のことである。祭囃子、おもちゃ、花火、楽器、古来から現代まで愛用されている日常の道具の音、たとえばそんな音である。こういう音は、癒しの性格の強い子守唄や童歌と違って、悲喜交々あらゆる気持ちのときに普通に聞こえている。それらの音は、私たちの気持ちにかかわらずいつも同じに響いていることによって、高ぶった気持ちを平常に戻してくれたり、落ち込んだ気持ちを元気にしてくれたりする。〔三宮麻由子著『音をたずねて』より〕


三宮麻由子さんは、4歳の時に視覚を失った。
研ぎ澄まされた感覚。
新鮮な発見。

祭囃子、伝来のおもちゃや楽器。
それらが日本に生まれ育った人の深層に普段の暮らしの音として流れているのなら、そうした音を受けて育つ感覚や感性は、日本的な味付けになって表出してくるのだろうか。

とんとんとん
とんからとん

たんたんたん
たちつてたん

みんみんみん
みみんがみん

えいえいえい
えいやらえい

研ぎ澄ますことの必要を、もう一度感じてみようと思った。


2010-11-24

El collar del Neandertal ネアンデルタール

それは、面白そうな本のタイトル。
邦題『ネアンデルタール人の首飾り』
読むどころか手に取ることすらしていないので内容は不明。



ネアンデルタール人は死者への手向けとして
野に咲く花を副葬品grave goodsとしていたらしい。
真偽の程は定かではないが〔ココみてね^^〕、
人と花の関わりは何万年も前に遡ることは間違いないだろう。

魔法の呪文で紅葉したの?
花を愛でる心・・・
それは、長い時を経て私たちの遺伝子に刻まれてきたのかも知れない。

今の私にとって、花や緑のない生活は考えられない。
思えば、庭遊びに精を出す母の姿を見ても、それほど興味は湧かなかった自分が居る。未だ小学生だった私に華道の習い事を(イヤイヤ始めたわけではなく、いつの間にかやっていた^^)させた母は、毎週花屋さんから届けられる『稽古用切り花』を度毎に品評していたような記憶がある。
「今日の菊はとっても上等だ」とか「この木の枝振りが良い」とか何とか・・・。生けた花は毎回父の仏壇近くに置かれていた。私が花を生けなくなってからというもの、自分が庭で育てた花を摘んできて飾ったりしているようだ。

アブラカダブラの花が開くとき何かが起きる?

物心共に植物の恩恵を受けている動物。
我々ヒトはその最たるもの。
寧ろ精神的な面では最も影響を受けている地上の動物。

ある研究によると、人口密度が一平方キロメートル当たり二〇〇〇人を超すと人間は自然を求めて何らかの行動を起こし、八〇〇〇人を超えると花や鉢物を買う行動が増え、一万二〇〇〇人を超えると植木や苗木を買い求めるようになるそうである。人間社会のなかで疲れた心を植物と触れ合うことで癒そうとするのか、人は無意識のうちに植物を求めるものらしい。わたしたちの生活の質を、もの言わぬ植物が高めてくれるのだろう〔植物まるかじり叢書2『植物は感じて生きている』より〕

ネアンデルタール人の首飾りは花の首飾りではなかったかもしれないが、彼らが死者に花を手向けていたとしたら、花を愛でる心があったのであろう。そして、おそらく、ネアンデルタール人の誰かが野に咲く花を可愛らしいと思い、美しいと思い、摘んで茎を繋げ輪にして、自分の首飾りにしたことだろう。

もう一つ花の首飾りを作ったよ
それをあなたにあげる
あなたのことが好きだから


書き言葉を持たず、言語体系の確立を見なかったとされるネアンデルタール人だが、そんな意思表示があったのではないかと、遙か遠い昔々を偲ぶ。

シャニダール洞窟近く、日の当たる場所へ...

2010-11-15

行ったり来たりCa Va, Ca Vient.

肌寒さが増してきました。
一雨来れば、季節は更に冬へと戸板を押し込みそう。
関東地方、午後から天気が下り坂とか。
楽趣味は、永年記憶力が下り坂とか。
というより、そもそも、キャパがちっこいのだ。
とにかく、覚えられない、忘れやすい。
自らの行動に於いては全く記憶の責任がとれません!

忘れるために覚える?覚えるために忘れる?
両者の鬩ぎ合いの中、自分に与えられた時が過ぎゆく。

2010-11-12

物への心

人を引き込む文章というのがある。
人を退屈させる文章がある。
人を突き放す文章がある。
人を宥める文章がある。
人を癒す文章がある。
文章は人が書く。

2010-11-11

いろいろ備忘録 Nov. その2

嬉しいことがあった時に備忘録^^
11月11日はいろんな日であるらしい。
ポッキーの日とか?介護の日とか?

本日ビルマでは、
最高裁がアウンサンスーチー再審申し立てを棄却。
そして、数日中に軟禁状態を解くようだ。

だから、私はネックレスを取り替える...
ん?なんのこっちゃって?
わてにも分かりまへん^^

それはともかく、水俣バラ園クイズ~を兼ねた覚書♪

いろいろ備忘録 Nov. 2010

どっちゃりと、段ボール箱の詰まったクローゼット。
殆どが蒐集した文献。持ち出し禁止の古書複製etc.
片づけ始めたら止まらなくなりそうなので、とりあえず一部を整理。
紙は鋭い刃に変貌する。
すでに何カ所か切り傷。
以前勤めていた職場で「紙で肌を切った時にはコレが一番よ」と差し出されたチューブ入りの薬用クリーム(?)。何という物だったのか名前が思い出せない。確かに良く効いたという覚えあり。
手の汚れを防ぐためとケガ防止に薄手のゴム手袋をはめて作業再開したら、あっという間に真っ黒になった。

2010-11-05

心が繋がってると思った瞬間

朝、家を出て二人で少し歩いた。
途中建物の南壁面を覆うように白~薄桃~赤それぞれの花が
交じり合って咲いている美しい植物に気づいた。
パッと目に入った瞬間「え?この時期にこんだけのバラが?!」
そう思ったが、よく見ると葉や茎枝がバラとは異なる。
「あの花は何?」
小さくなった母に問うた。
「分からない。綺麗だよね。何の花か聞こうと思ってた。」

それから、車に乗った。
病院へ向かう途中、母校の近くを通る。
母に私だけ途中下車しても良いかと問うた。
医師の診察を受ける前に諸々の検査がある。
その間、付き添いの私は全く手持ち無沙汰だ。

降りたところは、母校の正面玄関だった。
校内を突っ切っても良かったのだが、
立ち入りの手続きが面倒だったので
代わりに、以前は存在しなかった脇の小道へ入っていった。
築石で崖状になっている部分から先に公園が整備されていた。
森の中の小さな森ないでたち。
早朝の清々しい空気とともに
周囲住宅から漏れてくる生活のさんざめきとにおい。

瞬間的にBengalに移動してサリー姿に早変わり。
サリーのドレープを冷たい空気に靡かせながら木漏れ日を楽しみ
烏の鳴き声と羽音を清閑の中で受け
胸の高まりを一人かみ締め
母校から聞こえてくる声音に耳を傾け、ひと時を楽しんだ。

堀の周囲をぐるりと巡って小山の上に建つ病院の入り口まで。
山の北斜面に白と薄桃色の花をたくさんつけた植物が何本か。

朝見たのと同じ植物ではないか?
おさしんをとったけど
SDカード挿入口が分からないからDLできない。

帰宅後、午後の散歩を一人でぶらり。
朝目に留まった植物の写真を撮ろうと近づくと、
ご夫婦お二人が外に出ておられたので声をかけた。
「こんにちは~。この花は何ですか?」
「これは酔芙蓉です」
「え?酔芙蓉ってこんなの見たこと無いですが?!」
「これ、希少品種なんですよ」

常日頃、母がお世話になっているご夫婦と分かり、
あれこれあれこれ楽しくお話してると時間はあっという間に。
実家への挿し穂と、楽が東京へ帰るときの挿し穂まで
ご厚意に甘えることにして。。。多謝多謝^^


IRLアニヴァーサリーに素敵なプレゼントを頂きました。
メアリー・レノックスさんから


  わたしたちが死んで
  わたしたちの森の木が
  天を突くほど、大きくなったら
  大きくなった木の下で会おう。
  わたしは新鮮な苺を持って行く。
  きみは悲しみをもたずにきてくれ。
  
  そのとき、ふりかえって
  人生は森の中の一日のようだったと
  言えたら、わたしはうれしい。




森の意味
森には何がある?
森には知恵が眠っている
そこに私も眠りたい
心のうちをお見通し
そんな温かさにくるまれて
午睡をむさぼる
森の意味
森には何があるかを
その人は知っている。

2010-10-28

Marcel Proust: In Search of Lost Time


英知は受け売りでは身に付くものではない。
自分自身で発見するものなのである。
-マルセルプルースト-


原題は仏語で "À la recherche du temps perdu"
邦題は『失われた時を求めて』
作者は20世紀フランスの文豪マルセルプルースト。
本名は・・・長い・・・
Valentin-Louis-Georges-Eugène-Marcel Proust
ヴァランタン・ルイ・ジョルジュ・ウジェーヌMP
(1871年7月10日 - 1922年11月18日)

『マルセルプルーストのおもひで』
という名のバラはコチラ
↓

(てんちょんちから画像拝借^^)

マルセルプルーストはこんな著作も残している
↓




18歳で『悲しみよこんにちは』を出版したフランス人作家。
本名はフランソワーズコワレ Françoise Quoirez
ペンネームはフランソワーズサガン Françoise Sagan

ペンネームのSaganは
『失われた時を求めて』の登場人物からとったとか。
同書はサガンの愛読書であったらしい。

薔薇の名はPrincesse de Sagan プランセスドゥサガン
誰のことだろう?どんなプランセスだったのだろう?
気になって調べてみた。



フランス語だけど、このページによると、
どうやらこの女性らしい。ほほぉ・・・( ̄- ̄ )

で、サガン大公ってどんな人?ってのは・・・Wikipediaより
Boson de Talleyrand-Périgord
ここに
'Il épouse en 1858 Jeanne de Seillière (1839-1905)'
って書いてあるように、
1958年サガン大公との婚姻によって
Jeanne de Seillièreプランセスドゥサガンとなったわけだ。



マルセルプルースト『失われた時を求めて』

すごく長編の文学で、未完の大作なんでしょ?
一度読んでみようと思いつつ・・・読む時を失してきた。

バラに音楽を教わり、
バラに絵画を教わり、
バラに文学を教わる。

どこかに本があったはずだが・・・
家捜ししてみるか・・・(^^;;

失われた時を求めて(上)

失われた時を求めて(上)

価格:3,675円(税込、送料別)



2010-10-24

言葉が見つからない

気持ちが泡沫のように現れては消える。
消えたかと思ったら再び沸いてくる。
そんな時は、
Rosalind Infinitaで紹介した、この詩を思い出す。




「わたしを束ねないで」  詩:新川和江

わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
たばねないでください 私は稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂


わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽ばたき
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音





わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる  
苦い潮 ふちのない水


わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風


わたしを区切らないで
,(コンマ)や .(ピリオド)いつくかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩



記憶す...

価格:2,730円(税込、送料別)

読んでみようかな・・・


画像は上から
・名前忘れたダリア
・ジョゼフ大公の寄り添う蕾達
・ボルデュールローズ

2010-10-19

rosa rubra -color-

バラの画像は「もっと読む」をクリックしてご覧下さいませ。
タイトルrosa rubraは羅語で「赤いバラ」
ガリカ系のRosa rubraのことではございません、念のため。

赤と聞いて(読んで)、思い描く色は十人十色。
濃桃がかった赤、朱色がかった赤、深紅の赤、真紅の赤。
文字通り、色々な赤が存在します。

2010-10-18

Rosa Lunae

I don't like Monday♪って歌があったっけ。
親と同居していた頃、日曜の夕方が大嫌いだった。
学生時代には、日曜の夕方に虚無感を覚えたりした。
一人暮らしの時、日曜の夕方は魔の時間だったりもした。
死ぬまでにあと何度、日曜の夕方を迎えるのだろうか。
その内「日曜の夕方って良いもんだ」って
思えるのは何度あるかな?

2010-09-28

metaphor?

まずは引用から。
"Same words and phrases constantly pop up, and allusions, metaphors, similes." Lucy was talking about the language analysis she ran. 〔q. from Patricia Cornwell "SCARPETTA"〕
これは、ドクター ケイ・スカーペッタの姪ルーシーがコンピューターを使ってゴシップ記事の書き手が男性か女性かを言語分析している場面の一文。

ふぅ~ん。修辞法(レトリックRhetoric)って前々から苦手。
小難しいことはよく分からない~。
allusion, metaphor, simile・・・それぞれの違いって何?
以下Wikipeってみた。

2010-09-17

鳥の目で、獅子の心で

暑くて長かった夏も終わりを告げ、季節はゆっくりと秋へ・・・どころか、気温の変化はめまぐるしく秋の奥深くへ。右手人差し指先に出来たさかむけに冷水が浸みる。
やがて冬の扉が音もなく開いてしまうのだろうか?
感傷に浸る間もなく?
昨日、来年のカレンダーが届いた時に気づくべきだった。
今年中にやるべき事が残積されていることを。
心の中に薄ら寒い風が吹き込んでくる。



理解出来ない人事。人材不足?
浅はかな考えに基づいたことではないのだろうけど。
長いものには巻かれろ主義には辟易する。
レベッカおべっかや媚諂なんて捨ててしまえ。大嫌いだ!
追従者の中途半端で不可解な笑みの裏側に潜む腐敗の影。
適材適所には程遠い気がするのは私だけだろうか。
現在抱えている問題の引き継ぎは容易なことではないだろうに。
対外的な体裁が気にはなるのか?それが即ち自らの進むべき道、動かすべきもの、やらねばならない事と繋がってくるとでも思っているのだろうか。
自分はどうあるべきで、何をすべきか?
問い直した結果だったのだろうか?
政治的な小手先だけの愚にも付かない戦略。ちっぽけだ。
混沌を通り越し闇に停滞するだけのような息苦しい閉塞感。
行き止まりの分厚い壁。
静止した事態に鑿をふるい、闇の中手探りで小穴を開け、光を、風を取り込もうとする者もいるけれど、分断され浮き足だった集合体、腐敗臭を放つ淀みの底では決して多数ではない。

置かれている状況が把握出来ないのか?
定点に居座った自分を中心に目前のことばかり見ていると、対象物をきちんと把握出来ないだけでなく、その対象物がおかれた状況の全体像も捉えられなくなってくる。対象物は頑として、今在る所から動かない。どうする?自分が動けばよい。引いて見ればよい。反対側に回って見ればよい。上から見ても下から見てもよい。対象物の傍にいつまでもくっついていたら見えなかったものが見えてくる。ためつすがめつ観察したら、感じたことを反芻する。どう対処しようかと考える。考えをまとめたら、無駄な部分をそぎ落として言動に変える。

言葉となったものが他人(ひと)に伝わる。
-----自分の言葉が相手に誤解を受けないように慎重に。
動きとなったものが他人(ひと)の心を動かす。
-----確かなものに裏打ちされた動きには無駄がない。
-----見る者の共感さえ生み出すこともある。

大切なのは、忘れがちなことを時折思い返す努力を忘れないことだ。

人は、望むと望まないとにかかわらず、多かれ少なかれ、墓場まで持って行くべきものを心の内に秘めている。そうした秘め事を抱えていることに今は気づいていない人もいるだろう。抱えきれない程の秘め事で心を痛める人もいるだろう。
口にしてしまえば気が楽になるとは分かっていても、
「これが最後の一線!踏み越えることは許されぬ!」
そう思い直して言葉を飲み込む。

語るべき事と語るべからざる事。
動かすべき事柄と動かしてはならぬ事。
配すべき事と廃すべき事。



澄んだ秋の空を舞う鳥のように下界を眺め、
草原を疾走する鋭敏な獅子のように心を配す。
鋭き者、空に憂いを突き刺し黙す。
強き者、闇に悲しみを乾いた涙で隠す。
優しき者、見守ることを知る。
浅ましき者、自らの足下を見ず踊る。
愚か者、気に心眼を向ける心を忘れる。


惚れ惚れとするような辣腕を見てみたいものだ。

2010-08-14

夏のジョゼフ大公貫生

大公貫生って漢字で書くと人名みたい^^

これは6月末のジョゼフ大公っす^^

ジョゼフ大公とは・・・アルシデュクジョゼフのことでぃす♪
アルシデュクジョゼフとは・・・アルシデュックジョゼフのこと。
なんでジョセフじゃなくてジョゼフって表記するかって?

2010-08-01

日本のバラ園(広島県)

今日から八月

古い羅語では3月から数えて6番目の月という意味でSextilis
後期ラテン語でAugustus誕生月に因んでmensis octavus
グレゴリオ暦ではこの羅語の月名に依るようになった。
英語でAugustはもちろんアウグストゥスに因む。

八月・・・和の心には

燕去月
観月
雁来月
葉月
紅染月

・・・・・色んな呼び名がある。

時の治世者名が由来となったAugustに比べれば、
和の心は震える程に情感豊かである。
時節の自然や彩りを想像豊かに取り入れた名は、
たゆたう泡沫のようにか、
日々の移ろいを惜しげもなく映し出している。

二十四節気の立秋が八月七日。
処暑が八月二十三日。

日本の八月には幾つか忘れてはならない日付がある。

2010-07-13

何も足さない

何も引かない
余りにも有名な山鳥ホエスキーのCFがあった。

何も足さない、
何も引かない、
ただ、熟成の時を待つだけ?



すっごく深遠なコピーだよね。
多くの事に通じるフレーズ。

ん~~・・・
書きたい事は山ほどあるが、
ここは敢えて抑えて胸の奥にしまっておこう。

そのうち、腹が膨れてきたら、
そんときゃそんときで考えればいいさ・・・。


東京湾臨海部の都市計画の功罪

そんだけ~。