2010-11-15

行ったり来たりCa Va, Ca Vient.

肌寒さが増してきました。
一雨来れば、季節は更に冬へと戸板を押し込みそう。
関東地方、午後から天気が下り坂とか。
楽趣味は、永年記憶力が下り坂とか。
というより、そもそも、キャパがちっこいのだ。
とにかく、覚えられない、忘れやすい。
自らの行動に於いては全く記憶の責任がとれません!

忘れるために覚える?覚えるために忘れる?
両者の鬩ぎ合いの中、自分に与えられた時が過ぎゆく。
またイザヨイバラっぽく(?)咲いたジョゼフ大公












忘れかけていた。喜びがこんなにも簡単に手にはいることを。突然の雨。ちょっとした曲芸。楽しい思い出がよみがえる。
忘れかけていた。どんなときにも、どんな場所でも、ちょっとした想像で、喜びは見つけられることを。〔●幾米(ジミー)著/岸田登美子訳『メモリーズ』より〕

そうだね。その通りだね。
ちょっとした想像って楽しいよ。
誰も知らない私だけの秘密の想像。
ちょっとしたことで、喜びは無尽に。
だけれど、そのことに気づかないと
喜びはやって来ないのさ。


赤い斑点が花托にも蕾にも
私は今でも絶えず知らない人に話しかける。それが未知の扉を開くことに他ならないから。どこにどんな人がいるかわからないではないか。いつも言うのだが、恥ずかしがるというのは知的怠惰のひとつでもある。怠け者になってはいけないと自分に言い聞かせる。花粉が飛んで芽を出すように、どこでどんな一言があなたを冒険に誘うか、また、あなたの一言が誰の心に一粒の種を播くか。すべては他人への一言から始まる。私はいつも赤の他人に救われ、多くの人のお陰で自分ができあがった。ヒマラヤの奥地に行く冒険もあるが、本物の冒険は同じ電車に乗っている人に話しかけることではないか。〔●ピエール・バルー著/あつこバルー訳『サヴァ、サヴィアン』より〕

う~ん、まさに楽趣味の言動を見透かされているような気が..。
自分では分かっていても、それを言の葉にして記すのは容易ではない。
これからピエール・バルーのことを人生冒険の師匠と呼ぶことにしよう!(^^)v〔ピエール・バルー/Pierre Barouhって、こんな人♪〕


永江:リニアな人生というのは、自己同一性にこだわった人生ですね。「本当の自分」を一個じゃなくて一ダースぐらいそろえれば気楽なのに。「今日は雨だから引きこもりの自分でいこう」とか、「晴れているから社交的なオレ」とか。主義主張が首尾一貫していなくてもいいじゃないですか。服を着替えるように、自分も取り替えたい。
鷲田:人生太く生きるためには「こうでもありえた」「ああでもありえた」といっぱいあるほうがいいんですよ。そういう意味では、偶然に重きを置いた方が、人生は豊かになる。〔●鷲田清一×永江朗著『哲学個人授業』より〕

あるあるあるあるー!だな。
雨だから籠もってチマチマするの私
晴れたから思いっきり「遊び歌い踊る」の私
首尾一貫しない時また時の楽趣味

でも、人まねオンリーは嫌だな。
真似っこするのは全然OKだけど、
自分の血肉にしてはじめて真似も活きる。
でないと、ただ他人のものをなぞってるだけに終わる。
そんなの薄っぺらいじゃない?つまんないよ。
この世から自らの肉体が消えるときに同時に消える。
肉体が消えても残るものにしたいね。
偶然の必然の出会いと冒険と想像
Ca va, ca vient!

  

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