2010-11-22

小雪

木々の落葉もすすみ、初雪の知らせもちらほら届く小雪。
11月22日は語呂合わせで「いい夫婦」の日でもある。

・・・って、確か去年も書いたような...
・・・んで、確かその前後に派手な夫婦げんかもしたような^^
ったく・・・、時を経ても成長しない我々二人ww

青いルリマツリ、小さな花
どんな言い争いをしたのか、
何がケンカの原因だったのか、
全く記憶に残っていない。

それなら何故そんなことを書くのだ?
書かなくても良いことではないか?
赤っ恥をさらすようなことをぐだぐだと書くべきではないのかも知れない。
だが、書かずには居られない性分が災いしているらしい。
古い歌の文句じゃないけど、
「やめろ!」と言われても、
一度こうと決めたら表明してしまう..。
そうしないと気が済まない。
バカみたいだけど(^^;


いや、ホンマに深刻な状況やったら書かないだろう事は分かってるつもり。というより、書く前に行動を起こしているだろうから。
ブログに書いて、自分をある程度さらけ出す事によって、幾ばくかの心の平安を得ているのかも知れない、と最近思う。単なる自己満足といわれれば、それまでの話。
悶々と思い悩むあれこれを文字にして、自分の気持ちを確かめたりしてる、一種の代償行為かも知れない。
それはそれで良いのだと自分に言い聞かす。
楽しいことだけ、嬉しいこと続きの日々ではないから。
外面的なことを気にしてばかりの自分は嫌だから。
そんな自分が時に好き。
時々嫌い。

自分の嫌なところが見えるとき、それを受け入れられなくて困惑したり、さらに嫌になったりするけど、生きていれば、生きているからこそ、そんな気持ちにもなるもんだと思える自分は好き。そんな風に素直に感じられたらいいなと思う。


堂々巡りじゃないか?
堂々巡りでもええじゃないか。
人生を回り舞台のステージに見立てる。

堂々巡りでええじゃないか。
マニ車を回してお堂を巡り、マントラを唱える。
オム・マニ・ペメ・フム Om Mani Pedme Hum

いよいよ重い腰を上げて、片づけ難所の一角を崩した。
ずっと探していた本が数冊見つかった。
気をよくして古い写真集も取り出した。
白籏史朗の"Nepal Himalaya"



埃にまみれ、若干かびくさい臭いがした。
久しぶりに頁をめくり、ヒマラヤの山々の表情と写真家の腕に圧倒された。
もしかしたら、ここは河口慧海が身体にひまし油を塗って渡河した所かも・・・、こんな厳しい峰を越えて行ったのかも・・・と思いを巡らせていたら、捜索を続けるべき本の存在がまた一つ..。



この第一巻の最後のフレーズ、詳細がどうしても思い出せない。
なんとな~く朧気な記憶があるだけ。
今の楽趣味の気持ちにぴったり寄り添うような存在感のあるフレーズなのだが・・・

白籏史朗オフィシャルサイト ギャラリー

4 件のコメント:

  1. 楽さん、こんちは!

    毎年11月22日の朝に「今日はいい夫婦の日です~」なんて耳にするたび、
    いい夫婦って何ぞや・・・という疑問が頭の中をめぐります。
    ワンワン、ニャンニャンデーのほうが、よっぽどすんなり受け入れられるわ^^;

    喧嘩をしない夫婦でも、喧嘩ばかりでも、それぞれに、家庭や旦那に不満はある。。と思う。そして、満足している事もある。
    他愛のないことで笑えたり、喧嘩できたり(これ大事!)
    夫婦が(家族が)相手のことを考えたりする機会って
    やっぱりディスカッションあってこそよ~!

    色んな括りがあって、色んな所属があるけど
    夫婦、家族って一番小さな団体だと思います(5人以上じゃないと団体にならないとかっていう決まりはないよね)
    そこを大事にできて、初めてその周りに広がるものへも
    優しくできたり、思いやれたりできるんだと
    最近思うです。

    といいつつ、あたしはちゃぶ台に手を掛ける^^;~

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  2. ちゃぶ台のbloomさん Namaste/^^

    そうだよね~~!いい夫婦ってなんぞや!?だよね~^^
    おらも、ワンワンニャンニャンディン(どういう言語の組合せぢゃ?)の方がいいと思うフーフー(猫の威嚇声^^)
    他愛のないことで険しい表情が崩れたりするです。逆にちょっとしたことで椅子に手がかかりそうに・・・^^
    「謂わぬが花」というけれど、「謂ってこそ花」という時もある。うちのバヤイは、謂わぬが花のバトラと謂ってこそ花の楽って取り合わせだから、間が悪いと途端に衝突コンフリクトーー!!最近は間隔が長くなってきたとはいえ、普段謂いたいことを抑えたりしてる分、始まったら火花を散らすですよ(^^;;;

    確かに家族って一番小さな社会ですよね。それを基礎として外の社会との繋がりが縦横無尽に出来てくるわけだから(程度は個人差あるけれど)、そこが肝だよ、肝心要だよ~とことある毎に思うです。

    といいつつ、「ケンカってのは、こうやるもんなんだよっ!」と椅子を振り上げる自分を想像し・・・
    (^^ゞだはっ^^

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  3. 最近の「○○の日」って何か商業的なにおいを感じてしまうのは私だけ?
    だったらやっぱりわんわんにゃんにゃんデイの方がよっぽどましだと思いますわ^^

    最近は夫婦、家族って言う一番基本的な社会がすでに崩壊していたり、家族の中でも物も言えないみたいな感じが増えて、何やらそれが社会全体の問題の一番底にあるようにさえ感じます。
    とか・・・えらそうなこと言ってて自分のとこは大丈夫か?
    と、チト不安になったりして^^
    ウチってば常に父ちゃん不在の現代の家族の代表みたいな家だしw

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  4. みけさん Namaste/^^

    殆どの○○の日が商業ベースだと思うですよ。
    だって、昔々の歳時記ってのは、暮らしの中で区切りをつける目安になっていたのに対して、○○の日って語呂合わせだったり外国文化風習の受け売りだったり、何かの記念日って事もあるけど、殆どが所謂「商品」と何かしら関わり合いがあるでしょ?
    バラの日ってないのかしら?(^^;;

    社会の一番基本で大事な家族(どんな構成であれ)に長い目で見れば大きな振動となりうる目には見えない変化が(それもネガティブな感覚の)生じている側面は否定できないでしょうね。昔ながらの家族像の良いところも悪いところもひっくるめて。。。
    父ちゃんが常時不在でも、シッカリした絆があれば大丈夫ですよ~!と思う今日子のごろ寝。

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