2010-12-22

死と再生と:バラに魅せられる人

文字多め&引用多めで「いや~ん!」という空耳が起きそうだけど、ちょっと考えてみたくなるときって、たまにありませんか?
ほんのちょっぴり、だけど、考えを巡らせ、想像を働かせ、思いをとりとめもなく描きたくなるときって..。

何をどれとどのように繋げたらよいのか手探りして、
異なる事象の端と端が自分なりに繋がるとき、
どこかに忘れてきた自分の欠片が見つかって
懐かしさや嬉しさや郷愁までもが湧き起こったりするって..。

思考することは、人間、一人でしかできないけれど、
考えや思いをまとめ、想像を膨らませること、
そのわくわくするような感覚を一人で味わうのではなく、
友人と共有できたり、他の人と共感できるとしたら・・・
これほどの悦びは、そうそう味わえるものではないって..。
そう思う今日のひとときなのであります。


***



何度か紹介している日本植物生理学会監修の〔植物まるかじり叢書〕
植物を科学することの面白さが随所に見られ、時々出てくる専門的な事柄も分かりやすく読みやすい言葉で書かれている。
何度読んでも、読むたびに新しい発見があったり、面白い着想に出会えたりする書籍だと思う。

例えば、次の一節。
人類がこれほど花を愛するようになったのはなぜであろうか。4章と6章で紹介するように、生物学的に見ると、花は生殖器官である。生殖を終えたあとに待つのは死であるが、残された種子によって新しい個体が育ち、再び花が咲くことになる。つまり、花には「死」と「再生」という両面が象徴されており、そこにわたしたち人間も、無常観や死、不老不死といったものを重ねてみるのだろう。〔植物まるかじり叢書3-花はなぜ咲くの?より〕
生物学的側面から花を見るなんて、普段気にもとめないから、そんな視点もまたヲカシ。けれど、それだけでは人が何故花に惹かれ花を愛でるのか、味気なくない?一面的な捉え方ではなく、花と人との関わり合いで花を見、人を見る着眼。

♪花咲ホルモン:フロリゲンを求めて♪でも記したように、日本の花成ホルモン「フロリゲン」研究第一人者である荒木崇は、寓話『花咲爺』から「切られてしまった木が燃やされた残りの灰」と「その灰によって枯れ木に蘇る花」について述べ、「花にまつわるこの昔話には死と再生のテーマが繰り返し現れていることに気づ」くと論じる。

サイザウツェンによく似たマダムエミリーシャロン
ソバカス花弁に下がる雨粒が大きければ表情も違っただろう

花を飾ったり、花を贈ったり、さまざまなやり方で花を楽しむことが、生活のさまざまな場面で見られる昨今。ごくごく普通の日常に、花という生と死の両面を併せ持つ存在が、それとは殆ど気づかれることなく華やかさや可憐さや芳しさを認められ、これほどサラリとスンナリとわたしたち人間の生活に入り込んできているのは、ヒトの歴史を紐解けば多く出会えることだろうけれども、ひとえに「生きることと死にゆくこと、そして再びまみえること」から生じる花の魅力によるのではないかと思う。

人の手の入りにくい自然の中で自らの生を全うするように咲く花に人は魅せられ、それがいつしか、身近で花を育て花を愛でるようになり、暮らしの中に取り入れていくようになる。
住居敷地に地面が在れば、耕して花の種を播き、花苗を買ってきて植える。地面がなければヴェランダに鉢を並べて花を育てる。ヴェランダがなければ窓辺を利用して花を育て愛でる。
庭造り、花作りの歴史、特にバラ栽培は、決して新しい歴史ではないようだ。

現在では2000品種にもおよぶバラの育種の起源には、約4000年前のミノア文明にさかのぼるものなど諸説があるが、いずれも定かではない。しかし、少なくとも14世紀に見られたルネサンス時には、ヨーロッパにおけるバラ園芸の一大ブームがはじまっていたようである。〔引用同上〕

ミニバラだけど絞りの存在感が大きいガリヴァー

今や、アマチュアからプロまで、世界中の多くの人がバラ園芸や育種を楽しみ、民間企業では遺伝子操作を用いた品種改良も行われている。また、花屋には多種多様なバラが並び、園芸に興味のない人も、用途や気分に合わせて手軽にバラを求めることが出来る。まさに、バラは万人に愛される花の代表格として君臨し続けているのである。〔引用同上〕

幾度となく繰り返されてきた問いであろうが、
何故これほどまでにバラは多くの人々に愛されるのだろう?

バラに惹かれる理由は?
と聞かれたとしても、
答えは「分からない」し、「見つからない」と思う。
私にとっての難問である。

「どのバラが一番好き?」と問われても、
同じく、答えはすんなり見つからないだろう。

一つ一つの個性が好きだし、時には一つのバラでも春と秋と表情が違えば、一輪の花が朝と昼と夕で異なった趣を漂わせることもある。光の当たり具合で、風の強弱で、見る者の気分次第でも違ってくる。
それに、「バラの数だけ愛がある」から。

ただ惹かれるだけ。
ただ愛でたいだけ。
ただ寄り添いたいだけ。

"No rose, no life" ・・・「バラのない人生なんて」

てなフレーズを目にするが、楽趣味にとってバラは、愛らしい蕾だけでなく麗しい花だけでなく馨しい香りだけでなく、葉っぱも新芽も棘も枝に寄った皺も、産声を上げる新芽を守る托葉も、その縁に生える産毛のような髭も、etc.,etc. 何もかも、長所も欠点も愛おしい存在。
枯死させてしまった株を土から抜いてニオイを嗅ぎ残骸のような黒茶けた根っこを眺める。干からびた外皮を剥ぎ、以前切り戻した枝の縁を眺め、「年輪が少なかったね、ごめんよ」と呟く。

動物と違って、鳴き声も上げないし、仕草で何かを訴えることもないけれど、バラがそこに在る限り、語りかけてくるものがあり、植物にはあって動物にはない特殊なセンサーでこちらの言動を察知しているのではないかと思える時があるほど、楽趣味にとっては神秘的な存在。

何故、バラのもつ魅力は抜きん出ていると人は思うのだろう?

バラは、バラ科バラ属に分類される被子植物で、たいへん変化に富み、異なる種間で容易に交配できるのが特徴である。野生種だけで100-200もあるとされるが、いずれも低木で、茎や枝には棘をもつ。茎には、直立するもの、這うもの、つる状のものがある。花は基本的に五枚の花弁をもつが、雄ずい(雄しべ)の一部が花弁に変化することによって八重咲きになるものも少なくない。その色には、赤、ピンク、黄、白とさまざまなものがあるが、なぜか青いバラは存在せず、5章で紹介するように、現在、世界中で青いバラの開発構想が繰り広げられている。花弁は多彩な色をもつだけでなく、かぐわしい香りの成分(精油成分)も含んでいる。そのため、バラは香水やアロマオイルの原料としても珍重されている。〔引用同上〕

妖艶な色と香りのディオレサンス

様態も花色も花姿も香りもさまざまで、自然交配もあれば人工交配でヒトの望む姿形香りに近いものを生み出すことが可能だから?
それだけでないことは、多くのバラ好きの認めるところだろう。
「こういう理由だから!」
と一言では言い尽くせない何かをもつもの、それが、バラ。

こんなうららもうららのうち

13世紀までにはヨーロッパ各地でバラの栽培が広まり、『薔薇物語』(1236年)*注)に象徴されるように、バラの「美」が評価されるようになっていった。バラ園、すなわちローズガーデンもつくられた。そこで使われたのは、長い栽培の歴史をもつ、ローザ・ガリカ、ダマスクバラ、キャベジ・ローズ、ローザ・アルバというヨーロッパ原産の四種であった。一方、花卉園芸文化の一大中心地であった中国を擁する東アジアにも、中国産のコウシンバラ、ローザ・オドラータ、日本産のノイバラやハマナスなどの原種が存在し、そのうち、少なくとも八種が栽培化されていたという。
こうした状況下で、18世紀末、バラ園芸にとって革命的な出来事が起きる。イギリスに中国産のバラが持ち込まれることで、東西のバラが融合し、「四季咲き性」という今日のバラを特徴づける重要な性質が導入され、新たな品種が次々につくられるようになったのである。たとえば、コウシンバラとローザ・モスカータを交配することでノワゼットが、香りのよいローザ・オドラータ(その香りから、ヨーロッパではティー・ローズとよばれる)とハイブリッド・パペチュアルを交配することでハイブリッド・ティーローズと総称される、ラ・フランスなどの品種群がつくりだされた。現在では、西暦1800年以前のバラは「オールド・ローズ」、それ以降につくられたバラは「モダン・ローズ」と呼ばれるようになっている。〔引用同上〕

悲しいときも、気分が塞ぐときも、バラがある暮らし。
楽しいとき、嬉しいときは尚一層、
悦びに溢れそうになる私を、
とびきりの笑顔で、気品で、愛くるしさで、
芳香という媚薬で舞い上がらせる。



何かを失った代償としてバラを育て始めたって良いと思う。バラの微笑み返しで心に負った傷が癒されることだろう。いつしか、バラが心底好きになるはず。

何か大切なものと引換にバラの世話が出来なくなって枯らしたとしても、それは、「仕方のないこと」だと思う。誰にも責められないこと。好きなバラを失った痛手は、失った人が一番深い。

ただ単純に好きだからという理由で育てたって良い。
それは、バラへの愛を深める序章に過ぎないのだから。

どんなきっかけにせよ、
バラを育て、愛で、付き合うことが始まれば、それでいい。
そして、バラへの愛が変わらなければ、もっといい。



好きになったから、バラを育てる。それでいいじゃない?
自分の心の隙間を埋めるためにバラと過ごしているつもりは決してない。ふとしたときにバラが庭にあるだけで、例え花も蕾も付いていなくても、頼りない枝がひょろひょろと伸びているだけの姿でさえも、何故か私を和ませる究極の存在。
そこに在るだけで落ち着いた気持ちになる。
それが楽趣味にとってバラ最大の魅力かもしれない。


バラよ!




*『薔薇物語』 Le Roman de la Rose 13世紀フランスの文学。Wikipediaによると、薔薇の蕾に恋する主人公が、擬人化された様式や監修や感情などとさまざまな出会いを繰り広げながら寓話的な話が展開する百科全書的恋愛作法の書だとか。



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